参加者インタビュー
蓋をしていた感情を受容することで、自分のことを愛せるようになった話
自己紹介
岡山京輔です。
自分をキャラにすると、週刊少年ジャンプのナルトですね。
自分の言動は曲げないし、夢や仲間が好き。ちょっぴり抜けてたり、バカっぽいところがナルトだなって。
出身は大阪で小学校3年間ドイツにいました。大学は医学科に通っています。
1番の変なところは声がでかいところ。音量をはかるアプリで、瞬間最高音量がプロペラ機のエンジンと同じって結果が出ました(笑)
高2の時、4回くらい隣のクラスのリスニングを笑い声で止めたこともあるのが自慢です。
みんなが「自分が主人公」だと思える社会へ
将来、ナルトプロジェクトをやりたいです。
週刊少年ジャンプの主人公みたいな人を作れるような教育プログラムを作って、「自分が主人公だ」って自覚を持てる人が溢れる社会にしたいです。
「自分が主人公だ」って思いを満たすために必要なのは、仲間と一緒に歩いてる感覚と繋がりかなって思っています。
普通の友達に夢を語った時って、「食えるの?」って話になりがちだけど、LDSで出来た仲間は、「いいじゃん。どうやってく?」って話をしてくれるんです。
幼少期に親から承認された量がその後の人格を決めるのと同じで、人生における選択肢の多さが心のゆとりにつながると思っていて。
みんなの可能性を広げて、多くのコミュニティに繋げてあげたら自分の人生の裁量権が増えるし、それができたのがLDSでした。
みんなが生きる喜びを得て幸せを感じて、互いを応援できたら人生楽しいと思うんです。
1人でも自分の味方がいる、って思えるような、自分の気持ちを受け止めてくれるコミュニケーションが増えていったら世の中が変わると思います。
またそれは心を救うことにも繋がると思うから、ナルトプロジェクトを通して日本の教育を変えたいです。
今こうゆう風にやりたいことがある僕だけど、LDSに入る前は自分の闇の部分との葛藤を抱えて生きていました。
過去の痛みを感じ、自分を許すことができた
自分自身の大きな変化があったのは、合宿で取り扱った過去篇でした。
もともと家庭環境が複雑で、父が母に暴言吐いたり暴力をしているのを見ていたのが嫌だったんですけど、「親だから愛さなきゃいけない」って思って苦しんでいました。
自分自身、今までにたくさん挑戦して失敗したりして色々な痛みを経験してたから、人に何かしたいとか人の光になりたいって気持ちがあったので、「それを願う存在が父を恨んだりするのどうなんだろう」ってジレンマがあって、父に対しての気持ちは誰にも言ってなかったです。
でも、家族と向き合って、父親への気持ちを清算できたらいいなって気持ちがありました。
合宿で扱った過去編では「当時、勉強部屋にいるときに父親の足音を聞いた時だけで嫌な気持ちになったり、母がしんどそうな顔をしてる時に心を痛めたりしていた。だけど、父親のことを嫌いになれない。」って話をしました。
社員の方に、『でも本当はどう思ってたの?』って聞かれた時、
「本当は腹たってた。死ねよって思ってた。」
そんな怒りの感情が自分の中から出てきた時、泣きすぎて生まれて初めて体が痙攣して動けなくなったんです。
それは自分にとって命と繋がった経験で、当時感じてた痛みを1番感じられた瞬間でした。
それまで、人の光になりたいって思って影を隠していたけど、自分の怒りや憎しみを見た仲間が、「きょーすけいいね、人間らしいよ」って言ってくれて。
「自分も怒っていいんだ、もっと負の感情出していいんだ」って思えたし、その時から自分の中の感情の多様性に対する受容が増えました。
父親とは今絶縁してるけど、父親を許させない自分を許したのが大きいですね。
父とも、いつか向き合いたくなる日が来る。その時まで待っていいかなって思えています。
感情を受容できるようになって起きた変化
LDSに通う前までは、何かを出来ずににウジウジしてる子がいたら、「こうしたらいいんじゃない?」ってすぐに解決策を提示してたんです。
でも今はまず「できなくてもいいじゃん、その上で一緒にやっていこう」って出来るようになりました。
自分の感情を受容できるようになってから、人の感情への共感性も上がって、人との向き合い方が変わりました。
あとは、いろんな感情に敏感になってその上で行動できるようになりました。
例えば、寂しいって感情に気がつくことが出来たので、今までうまくいっていなかった彼女にもその気持ちを伝えた上で、「あなたといたい」「もっと見て欲しい」って気持ちも素直に言えるようになりました。
自分を愛していくプロセスを踏むという選択
僕はLDSに通ったことで、自分で自分を認められるようになりました。
自分を愛していくプロセスを踏む中で、自分の多様性に対して、自分が自分に共感したり認めることで心が癒されました。
ずっと、人の光でありたいって思いと、闇の部分の感情を出すことの両立で葛藤していて、闇の部分を出すことで自我が崩れるんじゃないか、人に対してどう思われるか不安でした。
でも、みんなが「大丈夫だよ」って言って協力してくれたから徐々に乗り越えられました。
LDSに入ったとき、みんなを弱い存在だと思ってたけど、みんなと半年間過ごす中で、「強さって、弱さと向き合うことだな」って気づくことができました。
みんな、出来ないことを「出来ない」っていうけど諦めないし、自分のどの感情も大切にしていて。
自分が葛藤を乗り越えられたのは、仲間が感情に寄り添ってくれたからですね。
LDSを検討している人たちにメッセージ
こんなに自分と向き合うことに時間や労力を割いてくれる人たちはいないですね。自分は自分の弱いところに気付けたのもみんながいたからだし。
いまLDSに入ろうか悩んでる人は、信じて飛び込んでほしいし、不安があれば相談しにきてください。
LDSに入る前の僕は強がっていて、「もっとみんな楽に生きればいいじゃん」って思っていたけど、「人と繋がりたい。価値認められたい、愛されたい。」っていう本当の願いは自分の中にあったし、皆さんもLDSに入っていろんな自分を見つけてほしいです。